◆徳光院について

  徳光院縁起

大圓山徳光院は、明治39年(1906年)の創建である。禅宗の一派、京都嵯峨野の臨済宗天龍寺派に所属し,夢想国師の法灯を掲げる。当時の管長高木龍淵禅師を請じて開山とした。

神戸に所縁のある川崎造船所(現川崎重工業)の創始者川崎正蔵翁が民衆教化の禅道場創立を発願して、境内530坪(1750平米)及び本堂,庫裡、山門、鐘楼などの伽藍を建立或いは移築して、一寄進を以って開基された。

その後、約50年間に亘って、川崎家代々の庇護のもと多宝塔、開山堂、弁天堂、茶室、納骨堂等々の建物を増やし、約4000坪(13,200平米)の境内地を擁する現在の輪奐が整えられた。

この地は、元の布引滝勝寺(通称滝寺)の跡地といわれる。同寺の縁起によると、滝寺は文武天皇初年(697年頃)、役の小角が布引の滝において修法し、馬頭観音を祀り創建した寺で、一時七道伽藍、七十有余の僧房、末寺を有し、頗る隆盛を極めたと伝えられる。

惜しいかな、天正七年(1575年)、花隈城主荒木村重謀反に依る滝山城落城の兵火によって、悉く焼失したのである。
布引山に隣接して、「寺ヶ谷」「教の尾」「口円光坊」「奥円光坊」等の地名があるのはその名残りであろう。滝寺は栄枯盛衰を経て、大正9年(1920年)市内熊内町に移り、今は真言宗の名刹として栄えている。
 また、すぐ前の砂子山(通称円山)は、神功皇后、生田神社創祀の霊地として、約五百年後ここに鎮座せられたが、滝寺創建の頃(697年頃)、熊内郷に遷座、さらに百年後、延暦十八年(799年)、生田の森に遷座せらる云々と伝えられている。この砂子山山頂附近と寺の境内地から弥生時代の土器が出土し、現在神戸市立博物館に委託保存されている。

 本尊

徳光院の本尊は、十一面観世音菩薩像は、鎌倉時代の作と伝えられる。

◆境内・山内案内

 本堂・庫裡

当院は過去2回大きな災害に遭った。昭和13年(1938年)7月5日の阪神大水害と平成7年(1995年)の阪神淡路大震災である。特に阪神大水害では、大量の雨で土砂が境内に流れ込み殆どの建物が埋まり大惨事となった。しかし民衆教化の道場たらしめん為とその莫大費用も川崎家の拠出金を得て修復され、本堂・庫裡をはじめ山門、鐘楼など伽藍の全てが守られた。

現在の本堂に掲げられた山号の額は、松方正義(1835~1924年)の揮毫によるものだ。

 

開山堂

大正8年(1919年)に開基川崎正蔵翁の養嗣子芳太郎の寄進により建立された。本堂同様に水害及び震災の被害を被り、頂上の宝珠が折れたりしたこともあったが、その美しい姿を残す堂屋は魅力的である。また堂内に安座する開山龍淵禅師の等身大の一木彫像は,有名仏師で岸和田筋海町地車彫刻師の西本五葉師の秀作である。現在の開山堂は、平成29年(2017年)9月に開山龍淵・二世台岳両禅師百年遠諱事業により修復されて間もない新しい姿となっている。

多宝塔

室町中期、文明五年(1473年)から文明十年にかけて、市内垂水区名谷の明王子に建立されたものである。
これを、徳光院の開基、川崎正蔵翁が譲り受け、明治33年(1900年)布引川崎邸(現新神戸駅)に移築したのである。
昭和13年(1938年)現在地に移築。この年7月5日の阪神大水害により、須弥壇及び、相輪、扉が流失したのは惜しまれる。
 この多宝塔は兵庫県下最古のもので、神戸市内では唯一の多宝塔であり、再度の移築、修理にかかわらず、よく当時の姿をとどめ、中世の様式、技法を知る上で貴重な遺構である。
 多宝塔には、文明八年(1476年)作の薬師如来座像と10世紀~11世紀初めの作とされる持国天、増長天立像二体(県重要文化財)が祀られている。

 

 弁天堂

徳光院の鎮守として祀る布引弁財天は、康永四年(1345年)後醍醐天皇の菩提を弔うため、足利尊氏が天龍寺を造営した時すでに境内地近くに祠られており、足利尊氏も参籠したと言い伝えられている。

 以後数百年間この地に奉祠されたのち、明治維新の際、天龍寺宝蔵に収められました。そして大正10年(1921年)当山に弁天堂を建立し、この由緒ある弁財天を天龍寺より勧請。当山の鎮守としてお祀りしたのである。

 弁財天は霊験あらたにして、開運、福徳、智慧を授け、一切の願望を成就してくださると信仰されている。また、弁財天を囲繞する十五童子の中には「筆硯(ひっけん)童子」がおられることから、筆供養の際、筆趣上達・廃筆感謝の祈願がなされている。

 筆塚は、前住職・橋本恭堂和尚がいつも世話になっている筆・筆記用具を供養することにより、物が溢れなんでも使い捨てされる現代に、今一度、物に感謝する必要を感じ発願。彫刻家・山口牧生氏との縁を得て、昭和58年(1983年)11月23日(勤労感謝の日)に、能勢黒石製で建立された。

 以来、毎年11月23日(勤労感謝の日)には弁財天大祭と併修して筆供養が営まれるようになり、衆僧による祈祷に加え、岡山・福田海の行者衆による護摩供養が勇壮に行われている。紅葉の一番美しい時季、抹茶・甘酒の接待もあり、遠近を問わず数多くの方々が参詣している。

 

 鐘楼

 江戸初期、寛永八年(1631年)、三木市志染の者伽耶院に建立されたものを、明治40年(1907年)に徳光院に移築したのである。
旧梵鐘は寛永八年の作で、伏見御香宮神器の銘のあるものであったが、第二次大戦に供出した。現在の梵鐘は、昭和35年(1960年)に再鋳したものである。

 

経蔵・灯篭

経蔵の手前の灯篭は昭和36年(1961年)開基・正蔵翁50年遠諱祈念に建立。

 山門

明治40年(1906年) 播州より移築した朱楼門であり、鬼瓦に明和3年(1766年)の文字があるところから見て、そのころの建物と思われる。現在の山門は、平成29年(2017年)開山龍淵・二世台岳両禅師百年遠諱事業によって修復改装された。

 東門

東門は、元来大正12年(1923年)に当山2世台岳老師の遺金をもとに3世精拙老師が建立した大本山(天龍寺)西の総門を拝領し、昭和13年(1938年)の阪神大水害で流出した門の跡に移築したものだ。移築工事は、昭和61年(1986年)創建80年記念の際に本堂・庫裡の屋根改修と共に施工され、平成元年(1989年)11月に落慶法要を厳修した。

納骨堂

開基川﨑正蔵翁の嗣子芳太郎氏長男武之助氏により1935年(昭和10年)建立された。

地蔵堂と不動堂

地蔵堂と延命地蔵菩薩は明治40年(1907年)に祭祀。

不動堂及び明王像は昭和8年(1933年)に移築祭祀。

稲荷社

昭和10年(1935年)に移築祭祀。

羅漢石仏

 本堂前庭にある羅漢石仏は、数百年の風露に耐える緑陰の聖者として、その清らかな面差しに魅せられて、暫し仏との対話に時を過ごす人も少なくない。

 

       臨済宗 天龍寺派 大圓山 徳光院

       〒651-0058

       神戸市中央区葺合町布引山2-3

       TEL 078-221-5400 (8:00~17:30)

        FAX 078-221-5410

 

※当ホームページは、大圓山徳光院護持会にて運営しております。

大圓山 徳光院

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